2016-02-24 第190回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号
これは、一九〇一年の、今から百年以上前の報知新聞の正月の特集でございますけれども、二十世紀の予言といって、当時から百年後の二十世紀にこんなことができたらいいという夢のような話を二十三項目取り上げた。 この中で実現していないのは六項目あって、まだ人と動物が自在に話せるようにはなっていない。他方で、十七項目は当然のように実現をしている。
これは、一九〇一年の、今から百年以上前の報知新聞の正月の特集でございますけれども、二十世紀の予言といって、当時から百年後の二十世紀にこんなことができたらいいという夢のような話を二十三項目取り上げた。 この中で実現していないのは六項目あって、まだ人と動物が自在に話せるようにはなっていない。他方で、十七項目は当然のように実現をしている。
そういうことを踏まえて、一九四五年に、朝日新聞は、これは八月二十三日でしたか、「自らを罪するの弁」という社説を出されて、読売報知新聞は十月二十五日に新聞への断罪という社説を出されている。毎日新聞は、十一月十日に、本社新発足、戦争責任明確化と民主体制の確立へという社告を発表されているというふうに承知しているんですけれども。
それが戦後、知徳体に、三つに絞られたわけでございますが、これは一九〇三年、明治三十六年、これは報知新聞編集長の村井弦斎氏が言っておるんですが、小さな子供たちには徳育とか知育とか体育とかいう前にまず食育というものをしっかりと与えなきゃいけない。そうすることによって、その次のステップで知育、徳育というものにつながってくる。大変含蓄のある言葉を残しておいでになります。
特別のリスク情報として、報知新聞報道によれば、こういうことがサイパンの裁判所で示されていて、それで、今後紛争が発生しない保証等々はありません、そういうことを、現時点で書くべきことを適切に開示している、そのように理解をしているわけでございます。
既にもうきょうの報知新聞には、先生が質問されるという予告が載っております。たけし出演映画、きょう衆院文教委員会で議題というものですから、先生がきょうここで話題にされるということは事前に相当な新聞社が御存じであって、反応がいろいろあると思いますけれども、私どもは深刻に、真剣に先生の問題提起に対して受けとめるということを申し上げておきたいと思います。
一例を挙げるならば、降伏文書が調印された翌日、一九四五年九月三日の読売報知新聞には、「燃えあがる知事公選論」と題する記事があります。「かつての政党時代にしばしば取上げられた地方長官公選論—ひらたくいへば都長官や府県知事を選挙によつて決定しようといふことが戦争終結とともに平和への建設国民政治の活気を呼び戻さうといま胎動してゐる政界に再びクローズアツプされてゐる」というふうに報じております。
福沢諭吉が起こした時事新報あるいは徳富蘇峰の国民新聞、あるいは報知新聞とかあるいは万朝報とか、これはもうそれぞれその時代にとって非常に重要な役割を果たした報道機関であったと思いますが、これが過当競争によってどんどんつぶれていった。昭和の初めのそういう教訓があるわけであります。
次に、暴力団員の離脱支援、社会復帰についてお伺いしたいんですけれども、先週土曜日の報知新聞に、福岡市の暴力団組長が、受験など子どもの将来を考えるといつまでも暴力団をやっていられないということで、福岡県警に解散届を出したという記事を読ませていただきました。親にとって改めて子供の影響というものは大きいなというふうに感じたわけです。
なお、過去のガードマン、警備員による労働争議についての介入、その過程における暴力事案の状況というようなことでございますけれども、実は警備業法が制定されましたのは昭和四十七年でございますが、その前の昭和四十五年、四十六年当時につきましては、例えば報知新聞社における争議とか細川鉄工所における争議とか本山製作所における争議等におきまして暴力事案の発生がありまして、それが大きな社会問題になった、それが一つのきっかけになりまして
これは報知新聞でありますが「TVは露国会戦」、それでテレビ局側は強気で批判はゼロだと言っている。しかし一番最後には「世も末の感じ これでいいのか」と言って評論家が、こんなことでは困ったものだ、世も末じゃと書いてあります。しかしながら、この新聞にも大人が興味を引きそうな写真はきちっと載っているわけであります。
内部資料によりますと、弟の氏平毅さんは、産業報知新聞社、後の産報会社、これが尼信の会員資格を得たことになっておりますが、これが会員名簿です。この会員名簿を見ますと、どこにも「会員」というところはありません。本社は東京都中央区何とか、連絡先が大阪府東何とかです。これは会社に関係なく、この方の末の弟の氏平敏昭さんの単なる住宅なんです。これは事務所じゃありません、個人のうちです。
○青島幸男君 せんだって私はちょっと古い新聞を調べておりまして、明治三十四年か五年、つまり一九〇一年の正月の報知新聞というのにたまたま出くわしたのですけれども、そこでは、今我々が二十一世紀についてかんかんがくがく論じ合っておると同じように、明治の有識者たちが二十世紀の後半にはどういうことになるだろうかという予想を掲げておるわけですね。その中に、今に電話網が世界じゅうにつながるだろう。
この防衛年鑑刊行会は、元報知新聞社社会部次長、出版協同専務であられた伊藤斌氏が編集責任者でございまして、行政監督上防衛庁とは関係のない民間団体でございます。なお、昭和五十二年版からは株式会社防衛年鑑刊行会が発刊をいたしております。 防衛庁との関係でございますが、防衛庁は、防衛年鑑刊行会の依頼を受けまして、昭和三十年初版の刊行に当たりまして監修を行いましたが、それ以後は監修を行っておりません。
たとえば、これは昨年の十月九日の報知新聞、これは亀田という選手が、中央大学卒業でアマで相当鳴らして、有名な選手だったのですね。「亀田引退のピンチ」という題ですが、亀田昭雄選手が「世界挑戦を前にして“引退”の危機に追い込まれている。
(拍手) 大学を卒業された保利君が、報知新聞、次いで毎日新聞の前身である東京日日新聞の政治部記者としての十年を過ごされたことが、政治家保利君の将来の一つの大きな基であったことは言うまでもありません。記者時代にマージャンや碁に練達されたことも、保利君にとっては大きなプラスとなったと想像されるのであります。
これは報知新聞の広告ですが、「スキー場のメッカ北志賀高原 日本のスイスが三十五万円で 老後の安定生活設計」という、いまの大変な情勢の中では、国民の夢をかき立てるというのですか、そういった広告が大々的にやられておる。
そういう前提のもとに捜査をしておるわけですが、被告訴人木本晴夫氏はこの金融報知新聞に当該記事を掲載するにつきまして、しかるべき者に面接するなどし、取材活動いたしました上、自分自身が元日本共産党員として知っておった事実を踏まえて真実であると信じて記事にしたという主張をいたしました。したがって公選法違反及び名誉棄損の犯意を否認したわけであります。
その解明された全容によって、ここに現物を持ってきておりますが、金融報知新聞という新聞がありますが、「弘容事件の黒幕は?」「第二日共トラック事件幽霊を演じた藤田政雄 表面に浮び出た三谷秀治」こういうことで、三谷秀治氏が黒幕であるというようにでかでかと載せておるんですね。これが全くの事実無根であるということは捜査の過程で全部わかっているはずであります。
実例がありますけれども、まあ報知新聞において長年労働争議があったことは皆さん方御存じだと思います。まあようやく昨年の十二月で五年間の闘争に終止符が打たれて、いま報知の社内は非常に平和な状態になっていますけれども、その五年間の間に報知新聞の労働組合が社のある東京と大阪でまいたビラの数は、実に二千万枚を超す量に達しています。一ヵ月三十三万枚、一つの小さな数百人の労働組合がビラをまいているわけですね。
そういう記録はたくさんございまして、ここに報知新聞がございます。これは十月二十四日、木曜日の報知新聞です。「カネやん満願胴上げ」というものすごいタイトルで書いてあります。報知新聞、スポーツ新聞です。ところが、このスポーツ新聞の一番下のほうの欄を見ますと、この優勝したロッテのサードを守っている有藤選手の子供が千百グラム、これがいま一年四カ月たっているのですが、りっぱに育っている。
本山だけでなしに、あるいは報知新聞、それから那珂湊の市の争議のときには、那珂湊の職員になっておる。那珂湊の職員になっておるときは、いまで言えば、職員になっておるから警備業法の対象にはなりませんと言われる。ところが、那珂湊の争議のときには、そこで職員になっており、報知新聞、チッソの株主総会、あるいは細川鉄工所——その細川鉄工所のときは、衆議院の速記録を見ましても、本山と細川と両方に行っておる。